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なぜ「高学歴秀才」が左翼思想に魅かれたのか…忘れ去られた「左翼」の「本来の定義」7/7(金) 7:04配信 現代ビジネス
日本の左翼は何を達成し、なぜ失敗したのか。
『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960』は、忘れられた近現代史をたどり、時代の分岐点に求められる「左翼の思考」を問い直す。
激動の時代を生き抜くために、今こそ「左の教養」を再検討するべき時が来たーー。
※本記事は、2021年6月に刊行された池上彰・佐藤優『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960』から抜粋・編集したものです。
忘れ去られた「左翼」の定義
佐藤 左翼はきわめて近代的な概念です。もともと左翼・右翼の語源は、フランス革命時の議会において、議長席から見て左側の席に急進派、右側に保守派が陣取っていた故事に由来します。この左翼、つまり急進的に世の中を変えようと考える人たちの特徴は、まず何よりも理性を重視する姿勢にあります。
理性を重視すればこそ、人間は過不足なく情報が与えられてさえいればある一つの「正しい認識」に辿り着けると考えますし、各人間の意見の対立は解消される、そうした理性の持ち主が情報と技術を駆使すれば理想的な社会を構築することができる、と考えます。
池上 19~20世紀の左翼たちが革命を目指したのも、人間が理性に立脚して社会を人 工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていたからですね。
佐藤 そうです。ですから現在一般的に流布している「平和」を重視する人々という左翼観は本来的には左翼とは関係ありません。理性をあくまでも重視し、理想の社会を目指す以上は、敵対する勢力と戦わなければいけないこともありますし、ロシア革命を指導してソ連の建国者となったレーニンは「現在の帝国主義戦争(第一次世界大戦)を内乱に転化せよ」と言っていたくらいですからね。
また意外と見逃されている事実ですが、伝統的な左翼は基本的に人民の武装化を支持するものです。職業軍人のような社会の中の特定の層の人たちが武装するのではなく国民皆兵、つまり全人民が武装すれば、国家の横暴にも対抗しうると考えるからです。
一方で右翼(保守派)の特徴はなにかといえば、彼らも理性を認めないわけではありません。しかし人間の理性は不完全なものだ、と考えているのです。
人間は誤謬性から逃れられない存在なので、歴史に学ぶ謙虚な姿勢が必要です。左翼のように無闇にラディカルな改革を推し進めるのではなく、漸進的に社会を変えていこうと考えるのが本来の右翼です。
たとえば、王や貴族、教会などの存在は、どうして必要なのかを問われて合理的な説明ができる人はいません。しかし長年のあいだこの世に存在してきた以上は、その背後には何らかの英知は働いているはずであり尊重しなければいけない、という考え方を右翼はします。これが左翼と右翼の根本的な違いです。
池上 私も佐藤さんの左翼観に同意します。戦前から戦後にかけての長い時期に、いわゆる高学歴の秀才たちは、総じて理性に依拠する左派の考え方に魅かれていきました。
しかし現在の左翼・右翼像と照らし合わせて、佐藤さんの説明に違和感を覚える人もいるでしょうね。時代とともに、「左翼=反戦平和」といった左翼観に変貌した印象があります。
佐藤 そうですね。たしかに現在の日本における左翼・右翼像はいま私が言った本来の姿からはかなり遠ざかっています。
先ほど言った、左翼とリベラルの混同もさることながら、右翼=保守派の側も、教育基本法を改正すれば立派な国民ができあがる、「愛国心」を憲法に書き込めば国民の間に愛国心が育つ、などと言い始めています。でもこうした、国民の心情・精神に人工的な改造を施そうなどという発想は、もともとは左翼の構築主義に典型的に見られたものです。本来の保守派はこのような発想はむしろ嫌うものです。
戦後左派が一貫した「反戦平和」
池上 そういう意味では、現在の日本では左翼と右翼に関してものすごく大きなねじれが生じていると言えますね。どうしてこのようなねじれが生じてしまったのでしょうか?
佐藤 それに関しては社会党、つまり現在の社会民主党の前身であり、1945年の結党 から1990年代の半ばまで日本の最大野党として、日本の左翼運動で主導的な役割を果 たした政党の影響がひじょうに大きいと思います。
社会党の基本理念である社会民主主義は資本主義体制における格差や貧困の問題を解消しようとする思想ですが、かつて社会党左派の中央執行委員を務め、社会党の運動理論を組み立てた主要理論家のひとりでもあった清水慎三が『日本の社会民主主義』で明らかにしたように、日本社会党は西欧型の社会民主主義とも違う日本型の社会民主主義を独自に作り上げてしまった面があります。
たとえば革命の実践にあたっては、レーニンが行ったような武力革命を拒絶し、一貫して平和革命を志向しました。平和革命を単なる望ましいことではなく、必須・必然のことであるとして絶対譲らなかったのです。
もし社会党の内部で暴力革命など主張しようものなら、「社会党を離れて他でやってくれ」という話にすぐになりました。
池上 この、同じ革命でも暴力に訴えず平和的な手段で実現するのだという社会党のこだわりは、長く悲惨な戦争に疲れ切っていた戦後左翼の多数派の心情にぴたりと合致したのでしょうし、だからこそその後も揺るがなかったのでしょうね。また原爆を投下されたことで核兵器への忌避感が民衆レベルで広まっていた戦後の日本にあって、社会党が核兵器に対して首尾一貫して反対してきたことの意味も大きかったのではないでしょうか。
佐藤 その点も重要です。本来的に言えば、左翼は理性ある人間の手元に置かれさえすれば技術はコントロールできると考えるので、核や原発それ自体への抵抗感は持ちません。
池上 そうなのですよね。2011年に福島第一原発の事故が起きた時も、一部の左翼セ クトは、「福島原発はブルジョア(資本家階級)である東京電力が管理していたから爆発した。プロレタリアート(労働者階級)が管理すれば事故は起きない」と言っていましたから。
佐藤 それと同じ理由で、日本共産党も冷戦時代の1963年、米英ソの三ヵ国が部分的 核実験禁止条約に調印した際には中国共産党と歩調を合わせて反対していました。彼らの見方に従えば、社会主義国が保有する核は資本主義国に対する抑止力であって「良い核」だからです。
毛沢東などは1957年11月にソ連で開かれた社会主義陣営の各国首脳会議で、「第三次世界大戦は必然的に起こるもので、核戦争で当時の中国の人口(約6億人)が半分になっても3億人は生き残る。(西側諸国との核戦争を)恐れる必要などない」とまで言っています。
しかしこうした姿勢に比べると、社会党のスタンスは、戦後ずっと「左翼らしくない」と言えるほどに「非核」で一貫しています。
その度合いは若干宗教的ですらあるかもしれません。創価学会の第二代会長である戸田城聖は1957年、創価学会の当時の青年会員たちに向けて、
〈もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである〉〈われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります〉と言い切った「原水爆禁止宣言」を出しています。社会党も核に対してはこれに負けないくらいのタブー視をしてきました。
池上 そうですね。日本に「原水爆禁止日本協議会(原水協)」と「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」という反核・平和団体の二つの全国組織があるのも、社会党と共産党の核に 対するスタンスの違いが原因です。
1955年に結成された原水協はもともと超党派の団体で、各国の核兵器の所持や核実 験の実施に全面的に反対していました。ところが、やがて内部で核の全面廃止を求める社会党のグループと社会主義陣営に属する国の核は認めるべきだとする共産党系のグループとの間で対立が起こり、結局1965年に社会党系のグループが脱退して、原水禁を結成しました。
佐藤 このように、平和、非武装へのこだわりを終始一貫して持ち続けたグループが、左派の勢力図の中で、長いあいだ多数派を占めていたことは、戦後の日本左翼史を特徴づける一つの重要なポイントであると思います。
左翼の悲劇を繰り返さないために
佐藤 ですから、日本の左翼運動史は共産党だけを軸に見ていては理解できません。日本の近代史を通じて登場した様々な左翼政党やそれに関わった人たちの行い、思想について整理する作業を誰かがやっておかなければ日本の左翼の実像が後世に正確な形で伝わらなくなってしまう。私や池上さんは、その作業を行える最後の世代だと思います。
特に懸念されるのが、日本共産党が来年2022年に創立100年を迎えるにあたり、 日本共産党の100年史を出す可能性があることです。今の状況下で日本共産党が党史を 出せば、彼らのバイアスがかかった歴史がそのまま左翼の歴史として流通してしまうでし ょう。つまり、世間の人々が左翼と共産党が完全にイコールな存在だと誤解したまま定着してしまうおそれがあります。
池上 それは大いに問題があるでしょうね。左翼の歴史が特定の政党による見方に収斂されてしまうのは健全ではありません。社民党がかつての社会党ほどでなくても、もう少し元気ならそういう心配もないのでしょうが
佐藤 そうなのです。実は私が今回の対談をどうしても池上さんとしたかった理由の一つは、この社会党の位置づけについて再考したかったからなのです。
これまでに世に出ている日本の左翼運動史の本は、社会党の位置づけについて全く不十分な分析しかできていないんですよ。おそらく今の社民党に所属している党員たちにしても、自分たちの出自に関してしっかりと理解できている人はほとんどいないはずです。ですから私や池上さんのような、社会党のことがある程度分かっている人間がいまのうちに位置づけを明確にしておかないと、誰からも理解されないままに歴史の彼方に追いやられてしまう。
池上 佐藤さんは高校二年から大学二年まで、日本社会党を支える青年組織である社青同(日本社会主義青年同盟)の同盟員であったことを明らかにしていますし、社会党については表も裏も知り尽くしています。社会党の役割を捉え直すうえではまさに適任でしょうね。
私も、社会の矛盾を解消したいと切実に願っていた若い頃には、社会党の中心的な理論家たちが書いた論文を貪るように読んでいた時期があります。またジャーナリストになってからは、自民党に対抗しうる事実上唯一の政党であった社会党には特別の関心を払わざるを得ませんでした。
佐藤 最も怖いのは、今のような誰も左翼のことをよく知らない状況のまま、ふたたび左翼思想が注目されるような時代が来てしまい、人々が無自覚的に時代の波に飲まれてしまう事態です。そうなったら昔の左翼たちが犯した様々な誤り、悲劇がそのまま同工異曲で繰り返されるでしょう。それは避けなければいけません。
先ほど触れた「枝野革マル説」にしても、問題は枝野氏が左翼であるかどうかではな く、左翼のことをよく知らない"ノンポリ"であることにあります。ノンポリだから 総連の献金が意味することをよく考えることなく受けてしまうし、共産党との選挙
協力の誘いにも安易に応じてしまう。
彼が左翼のことをある程度理解していれば、もう少し異なる対応をしたはずです。だからこそ池上さんとの対談では、明治維新や自由民権運動から始まる日本左翼史を縦
覧して様々な党派・活動家・思想家たちの足跡を辿るとともに、彼らがそこに至った過程についても分析していきたいと考えています。
ただこれを、明治維新から時系列で話していくことで完全な「歴史の話」にしてしまうよりは、少しでも読者にとって身近に感じられるところから始めたほうがいい。
そこで第一巻となる今回の対談では、まず戦後、つまり1945年8月15日を起点に話をスタートし、戦後最初の大衆闘争である60年安保に至るまでをひとつの区切りとしたいと思います。
池上彰×佐藤優
https://news.yahoo.co.jp/article ... e6a37aaef013?page=1
https://news.yahoo.co.jp/article ... e6a37aaef013?page=2
https://news.yahoo.co.jp/article ... e6a37aaef013?page=3
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無論左派右派都是為人民未來著想,創建更幸福的國度。但遇到人心的貪婪就會完全變調,放棄原有的理想與抱負,這就是人類可悲的地方。
台灣政客滿嘴理想,實際作為卻是貪婪無恥,魚肉人民。台灣郎不驚醒,淪為刀下殂肉也是剛好而已。所以,就別怪這也排隊,那也排隊,連雞蛋都吃不上,到最後又是進口雞蛋遍地要銷毀的荒謬。未來不是只有荒謬,而是更荒謬!
悲哀!
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